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ザビエルと公式使節の少年たち。テレビ『137億年の物語』第67話感想。

Posted by cometiki on  

今回の主人公は、フランシスコ・ザビエルでした。

スペインで生まれ育った貴族だった、フランシスコ・
ザビエルですが、キリスト教に目覚め世界にキリスト教
を布教することを目標にします。

1549年には来日して、キリスト教を広めました。

好奇心が旺盛だったフランシスコ・ザビエルは、
布教する土地で、現地の人たちとすぐに仲良くなった
といいます。

また、亡くなってからもフランシスコ・ザビエルの
身体は腐らなかったため、世界を巡ったそうです。
そして、身体を切り分けられそれぞれの土地で保管
されることになったといいます。




 >タイトル:フランシスコ・ザビエルと戦国武将の物語




寺脇博士(寺脇康文さん)の研究室で、ザッケローニ
監督のインタビューを見ている、大家さん(宮崎美子さん)
と、相内助手(相内優香さん)。

ザッケローニ監督のお話を聞きながら、頷く寺脇博士。


 寺脇博士「ワールドカップは残念でしたが、日本を
 本当に好きになってくれたようですね」と、しみじみ


そこへ、池上先輩(池上彰さん)から手紙が届きます。
早速封筒を開けてみる、寺脇博士。


 池上先輩「日本に興味を持った、最初のヨーロッパ
 人とは誰かな?」

 寺脇博士「お?今日は手紙の他にもなにかあるぞ?」
 と、郵便受けから巻紙を取り出す

 相内助手「なんですか?それ??」

 寺脇博士「その外国人が、日本人をどう見たかの
 ヒントだ!」と、巻紙を広げる

 大家さん「好奇心が強い。素直で嘘を吐かない…
 泥棒が少ない。富より人の為に働く…随分良く思って
 くれてたのねー」

 寺脇博士「その誰かとは、フランシスコ・ザビエル
 です。今日は、彼と時の権力者たちについて話そう」

 相内助手「権力者って…?」

 寺脇博士「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康だ!さあ!
 彼らの物語を紐解こう!相内クン、早速ポルトガル
 へ行ってくれたまえ!!」

 相内助手「ハイ!!」と、研究室を駆け出す

 寺脇博士「え?手ぶら?手ぶらなの??」


ステンドグラス1


ポルトガル。
リスボンにある、サンロッケ教会へやってきた相内助手。
外は真っ白で、中は黄金という教会にビックリです。

この黄金は、ザビエルが大航海時代にもたらしたもの
なのだとか…。
ザビエルはポルトガルでも有名でした。

彼はイエズス会の創設メンバーの1人です。
スペインで生まれ育った貴族の子どもでしたが、キリ
スト教に目覚めてからは、世界にキリスト教を布教
することを目標としました。

1451年にリスボンを出航。
それから、様々な国で布教活動を行い、1549年に
日本へやってきます。

好奇心が旺盛だったザビエルは、現地の人たちとすぐ
に仲良くなったそうです。
ザビエルは、親日家だったといいます。




 寺脇博士「では。信長、秀吉、家康。3人がキリスト
 教をどのように扱ったのか、見ていきましょう」


信長、秀吉、家康の描かれた年表を指さす、寺脇博士。
相内助手がそこに説明を付け加えてゆきます。


 相内助手「信長はキリスト教の布教を許可しました」

 寺脇博士「お寺と教会両方を活かしました。次に
 秀吉ですが…」

 相内助手「最初は好意的だったんですが、1587年
 にキリスト教を禁止します」

 大家さん「どうして変わっちゃったの?」

 寺脇博士「九州の権力者が、土地をポルトガル人に
 譲っていたからなんです」

 相内助手「秀吉はキリスト教を弾圧します」

 寺脇博士「次に、家康…」

 相内助手「家康は貿易に力を入れていたので、キリ
 スト教を認めていました」

 大家さん「利益のために目をつぶっていたのね」

 寺脇博士「ところが、秀忠の時代になるとキリスト教
 から改宗しなければ、殺されました。そしてさらに
 踏絵や拷問と、弾圧が激しくなったときに起きたのが…」

 大家さん「島原の乱!」

 寺脇博士「天草四郎で有名ですね」

 相内助手「12万人がキリシタンの篭城しているところ
 を攻めたのですが、落とすことができず、兵糧攻めを
 行いました。そして…キリシタンたちは皆殺しにされた
 のです」

 寺脇博士「さらに!ポルトガル入船禁止という時代が
 やってくる」


寺脇康文さん イラスト 妄想 テレビ『137億年の物語』第67話 2014年8月14日


長崎へは、大家さんが取材に行かれました。

取材されたのは、キリシタン大名による、ローマ教皇へ
の公式使節として、日本を旅立った4人の少年について
です。 

彼らは1582年2月。
信長の死の4ケ月前に、日本を出航しました。
15歳から13歳までの少年たちです。

1584年8月にリスボンへ到着。
サンロッケ教会を訪れました。
そこへ1ケ月滞在した後、ローマ教皇に謁見したのです。

その様子は、ドイツの新聞にもニュースで扱われる程
でした。

8年後。
彼らは日本へ戻ってきますが、3年前にバテレン追放令
が発令されたばかりでした。

彼らは時代に翻弄され、不遇の死を遂げることとなるの
です。


花 紫陽花2 2014年7月17日


今回のお題に関する試食コーナーでは、”蒲焼”が
登場しました。


 寺脇博士「大家さん、さて。なんの蒲焼でしょう?」

 大家さん「ここの研究室では…うなぎ、は無理よね。
 どぜう?!」

 寺脇博士「ピンポン!正解…どじょうです。あ!まだ
 食べないでください。なぜ今日、蒲焼を食べるのかと
 いうと、長崎のキリシタンたちが売っていたから…
 なんです」


寺脇博士の説明を聴いてから、いよいよ試食です。


 大家さん「うん。硬いけど、油がのってて美味しい!」


また、フランシスコ・ザビエルの肖像画についても、
相内助手からお話がありました。


花2


寺脇博士のつぶやきコーナーでは、フランシスコ・
ザビエルの遺体について、お話をされました。

全国を布教してまわった、ザビエルですが死後。
彼の遺体もまた、全国を回ったのだそうです。
なぜそんなことができたか…それは、遺体が腐らなかっ
たから、といいます。

さらに彼の遺体は、部分ごとに切り取られ各地で保管
されることになったのでした。


 寺脇博士「亡くなった後も、ザビエルは世界で布教
 を続けているようだ…」




今回はフランシスコ・ザビエルがメインの物語でした
が、個人的には公式使節として、日本を旅立った4人
の少年についてのお話が残っています。

なんというか…タイミングがなぁ…。

信長がもしも4ケ月早く死んでいたら…少年たちは、
日本を旅立たなくてよかったかもしれないし。
秀忠の代になって、キリスト教の迫害が始まる前に
日本に戻ってこれていたら…なんかもうちょっと、
違った人生を歩めていたんじゃなかろうか、と。

あー…。
それとも逆なんでしょうか。

一時でも公式使節として活動し、ローマ教皇にまで
謁見できて、バタバタと将軍が変わってゆく時代を
目の当たりにしなかったことは、少年たちにとって
幸せだったのかもしれないですね。

…勝手な感想で、申し訳ないですけれども。
そんなことを考えてしまったのでした。


なんか、重たい回だったなぁ。



※感想内の台詞や諸々のことにつきましては、
 私の脳内加工済みのものとして、まるっと
 本気になさいませんよう、ご注意ください。






ネットの片隅で、こっそりと。
今日も熱烈に叫んでおります!!
寺脇康文さん、大好きです!!

多分、明日も寺脇さん萌ポイントなど語っております。
よろしかったら、またお越しくださいませ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

cometiki@寺脇さんを描く人

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