見えない手に強く首を絞められているようでした
旅行から戻って、大風邪をひいてしまいました。 内臓が口から飛び出しそうなくらいの咳をしてしまうので、病院へ行ったところ「肺炎手前の気管支炎に、喘息まで出ている」とのこと。
気管支炎だけでもキツイのに、さらに喘息までプラス…。 点滴を打ってお薬を飲めど、そう簡単には治りません。 会話するのもままならず、夜も眠れない日々が続きます。
呼吸するのが苦しくて、苦しくて。 咳込むたびに、まるで見えない手に強く首を絞められているようです。
肺の中に酸素が足りなくて、苦しいんだ…と思い、私は必死に呼吸をしようとしました。 ところが息を吸うと、吸った分だけ激しい咳が出て、余計に苦しくなるのです。
夜中に苦しさが増すと、孤独が強まって悲しくなります。 無意識にタオルへ顔を埋めていました…すると。 タオルへ顔を埋めた分、呼吸する力は弱まっているハズなのに、肺の中へ空気が行きわたってゆくのを感じました。
それは、すごく不思議な感覚で―…。
足りなくて満たされないときはすでにあるものに意識を向けてみるときなのかもしれない
私はタオルへ顔を埋めたまま、しばらく浅い呼吸を繰り返してみました。 そこで、ふと気づいたのが「足りないと思って、無理に深く呼吸をしようとしていたのかな?」ということです。
息が苦しい=酸素が足りない
そう思い込んでいましたが…もしかすると、酸素はもう十分に足りていたのかもしれません。 そうでなければ、浅い呼吸を繰り返すだけで"満たされている"と感じることはないと思います。
私は痛みと苦しみから、「もっと、もっと」と酸素を求めていました。 結果、今体内にある酸素を、味わう余裕を忘れていたのです。
これはいろんなことにも、当てはまるような気がしました。 足りない、足りないと努力しても満たされないとき…というのは、すでにあるものに意識を向けてみるときなのかもしれません。
それで一気になにもかもが、スパッと解決する訳ではありませんが、気持ちは少しだけ楽になることができました。