孝行のしたい時分に親はなしというけれど
最近よく、親孝行に関する話題が耳に入ってくる。 「親にあれしてあげればよかったって、思うんだけどね」 「親孝行は、しっかりしとかんといけんよ」 と、“孝行のしたい時分に親はなし”にならない為に、出来ることをしておこうと。
私も以前は、その言葉を強く想い…親に対して「あれしてあげたい!これしてあげたい!」と、積極的にアレコレしていました。 しかし、感謝されるより「すまんねぇ」とすごく申し訳なくされることが多いので、アレコレをやめました!!
「これを、母に!」とか「あ!これ父に!!」と、プレゼントをして様子を伺うこと、数十年。 どうも本気で「困ったなぁ」と、思っているらしいことに気づきました。
私は自分の為にと考えて、プレゼントしてもらえたらなんでも無条件に嬉しいのですが…だからって、親もそうだとは限らないんですよね。 親には親の価値観があって、嬉しくないこともあるよなぁ…と。
親孝行したいと思うときは、いつ?
ところで、「なんで親孝行しなきゃ…って、思うんだっけ?」。 私がそう思うときって…考えてみると、自分が親に対して申し訳ないなーと、思っているときでした。
表面上は「親に喜んでもらいたいから!」、なのですが。 いえ、その気持ちも87%くらいはあるんですけど。 根っこの根っこは、罪悪感みたいなところからくるのかな?って。
なにかを親にすることで、その嫌な気持ちから逃れようとしていたんですね。 「これだけしたんだから、赦されるだろう」みたいな。 だから、親の好き嫌いを理解しているつもりで、的外れなことをしていたのかも。
…うん。 それは、困った顔になるよね。 なにも赦すことはない(そもそも怒ってすらいない)のに、赦してオーラ出されてもね。 そりゃ、申し訳ない想いだけが伝わって、申し訳ない気持ちが返ってくる訳だ!
私の考えてる“親孝行”は、親孝行じゃないのかも?! そう気づいてからは、なにかしたくなる度に「これは、赦しを求めてしようとしてるんじゃないよね?」と、自分に問いかけるようになりました。
純粋な親孝行って、なんなんだろう
「〇〇しないと、親に悪いから」と、まあ考えてること、考えてること。 それって親に「もっと自分をよく(いい子に)見て欲しいから」なんだろうなぁ。
実際はそんなことしようがしまいが、自分の子ども(つまり、私)の評価は上がったり下がったりしないんだろうに。
私は親になったことが無いので、その気持ちを理解することはありませんが、身近で子どもが生まれた人を見ていると、伝わってくるのです。 なんか、でっかい愛が。
その前には、どんなこともちっぽけで。 子どもごときが、なんかできるハズもないんじゃないかと。
逆に。 子どもだからできることっていったら、笑ったり、泣いたり、怒ったり。 歯止めきかないくらい、感情的に荒れ狂っても愚痴っても、ただ生きること。
あと、たまに楽しそうだと尚いいのかも。 だって、親のことそっちのけで楽しんでる私を見ているときの両親は、本当に幸せそうに笑っています。 …あまりの馬鹿さ加減が、ツボなのかもしれませんが(置いといて)。
純粋な親孝行って、突き詰めていくと“自分が楽しんでること”なのかもしれません。 だから親の為にって、何かできなくても苦しくなることないし。 自分を責めなくてもいいのです。